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ひとりシニア 日々の思いを綴ります。

あれから18年 生かされている 生きている。

8月14日。忘れられない日である。

18年前の今日 46歳。右乳がんと診断された。確定診断される前から かなり疑わしいと告げられる。疑わしいという言葉は とてもあいまいで なおさら 恐怖心をあおる。そう言われてからは ネットでいろいろと調べて 闘病ブログも読むなど こころの準備に夢中になった。だから 「やっぱり悪い細胞でした」との 医師の言葉を 比較的冷静に受け止めることができたと思う。腫瘍は 3cm弱。診断される2年ほど前から しこりはあって 良性との診断だった。それが 悪性になったのか?医師の説明は 「見つけにくいところにあった」とのこと。人より硬い乳腺の裏にあったらしい。

よりにもよって お盆のさなか 「右乳がん 要手術」と告知されるなんて これも何かの因果なのかしら。ちょうど 彼岸から此岸に戻っておいでのご先祖様方が わたしを そのまま 彼岸に連れて行ってしまうのか それとも このまま 此岸の現実世界に置いていってくれるのか。さぁ どっち?と 今になって 冗談のように書いているが あの時は 絶望の淵にたたずむ思いだった。当時は がん=死というイメージを持っていたので そのことへの恐怖心は たとえようもないほどだった。

だが そうと決まったからには 覚悟しなければならない。手術をすることにためらいはなかったが できれば温存手術ができないか。それは無理だった。乳房が小さいから 腫瘍をとった後に 残る部分は ほんの少しだけ。その残った部分に 再発しないという保証はない。結局 右乳房全摘出となる。

術後にはっきりしたことは ステージⅡb 腫瘍の大きさは 2.6cm。リンパ節への転移あり。初期の乳がんなら治癒するが わたしの場合は すでにリンパ節への転移があるから 進行がん。身体中を 乳がん細胞が巡っているということ。いつ 増殖するかわからない 不気味な生き物のように。

再発を予防するために 抗がん剤の注射をしたが 一回でアウト。副作用の骨髄抑制が起こって 白血球の値は 命に危険な状態にまで急降下。抗がん剤は 中止になった。その一回の注射だけでも それまで経験したことのない倦怠感が出た。抗がん剤が使えないと どうなるの?と心配だったが 幸いなことに わたしの乳がんは ホルモン受容性があった。つまり 女性ホルモンによって 大きくなってきた乳がんだから ホルモンとがん細胞の合体を遮断する治療を行えば 再発を防げる確率は高くなる。結局 そのホルモン療法(副作用は子宮体がん 骨粗しょう症など)と 飲み薬の抗がん剤(副作用が少ない)で 再発予防の治療を行った。乳がんは 当時から 世界的な標準治療が確立されていたので わたしの場合も それにのっとっていた。抗がん剤の服用を5年ほど。ホルモン療法の薬を さらに5年ほど続けたように記憶している。

標準治療の最後の日 医師は 「頑張りましたね」とねぎらってくれたが 「治りました」とは言わず。あくまでも 進行中とみなすから 治癒したとはいえないのだ。「何か変化があれば すぐいらっしゃい。左の乳房も 毎月一度は自己点検するように」と。その言葉に送られて病院を出た時の 解放感。あぁ これで ここに通い詰めることもないんだなという思い。そして 解放感以上に わたしのこころに広がっていたのは 再発への不安感だった。治療が終わっても それで 終わりではない。再発への不安は ずっとつきまとう わたしの場合。

乳がんの治療を続けながら わたしの人生も さらなる転換点を迎えていた。3月の記事( ☛わたしの平成 30代~60代を振り返ってみる。)で 少し触れているのだが 乳がんと診断されたとき わたしは 大学院の2年生。修士論文を書き上げて なんとしても 2年間で修了したかった。修了後の実務経験と資格受験を考えていたから 1年たりとも無駄にはできない。そういう決意のもとの学生生活だったのに まさか 病気になるなんて。青天の霹靂だった。

結局 術後のからだで 修論を終わらせ 何とか修了式を迎えることができた。それからは 心療内科クリニック勤務 資格受験 それと並行して 治療を続ける日々。何よりも からだのことが最優先だったから 勤務は 週2日だけ。以来 フルタイムでは働かないというのが信条になった。そんなわたしが 緩和ケア病棟に勤務することになったのは 妙なるご縁があったからなのだろう。心理職として また がんを体験した者として 孤独感や不安感 喪失感などのこころの痛みや辛さを 共有させて頂けるかもしれない。そんな思いだった。乳がんの体験を あえて患者さんに話すことはなかったが こころの深いところで 生と死の狭間で 様々に揺れる思いを共鳴し合える そんなかかわりができたらいいなと思っていた。それができていたかどうかは はなはだ わからないけれど。ちなみに 20年後に再発したという 乳がんの患者さんにもお会いしたことがある。侮れない病であることが あらためて こころに突き刺さった。わたしも いずれそんなことがあるかもしれず ないかもしれず。運命にゆだねるしかないことだ。

あの8月14日以来 ずっと わたしのこころにあったのは とにかく「生きていたい」という気もち。術後に 思った。「あぁ 生きていけるんだ。まだまだ 死ぬわけにはいかない。再発するなんて 絶対 嫌だ。何とかして 生き延びたい」

18年前に買った 絵葉書。今も 壁に飾っている。 Get well soon。 もうすぐ よくなる。よくなる よくなる。おまじないのように 唱えていた。

get well soon

生きていたい。老いた母より先に 死んではいけない。前職をやめてまで就こうと願った職業をあきらめたくない。どうしても その仕事をしていきたい。そんな思いで 生きてきたように思う。

そして 今 こうして生かされていることに 感謝してもしきれない。わたしを支えてくれた 様々なひと達にも 感謝の思いでいっぱいだ。生かされている限り わたしにも 何らかのミッションがあるのかもしれない。たとえ それが どんなにささやかなことであっても 繋ぎとめられた このいのち 精一杯輝かせて 生きていきたいと思う。

わたしにとって 8月14日は 生かされたいのちに向き合う日。

生かされている 生きている かけがえのない 尊い いのち。

 白いベゴニア
   
いつも読んでくださって ありがとうございます(^^)/

では また 明日。。。

    keme.

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