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60代を生きる。ひとりもの&ひとり暮らしの 日々の思いを綴ります。

「何だか疲れちゃった・・・」と元気のなかった友が 復活した。

CATEGORY雑感
夕方近く 隣町に住むYさん(68歳)が来訪。
昨年12月の記事に登場した友達である。 ☛友がふいに訪れる。

Yさんとは ひょんなことで知り合って 約20年ほどになる。たまにしか会わないが 時々 電話やメールのやり取りをしている。ご主人は 会社勤めの定年退職後 農業をやっている。ふたり暮らし。息子さんたちは それぞれ家庭を持って やや遠方に暮らしている。

彼女には 8月に会っていた。というのは ご主人のお母さんが 2月ごろ 亡くなられたので この8月は 新盆だったのだ。ご葬儀にも参列したので お盆にもお参りに伺った。長男のお嫁さんとして お参りのお客様に対応しているYさんは しっかりとその役目を果たしているように わたしの目には映っていた。

お盆が終わってから 電話があった。お盆にお参りしたことへのお礼の電話だったが 彼女は とても疲れているような感じだった。いつものはつらつとした声ではない。「何だか 気が抜けちゃった。新盆を終えるまではって 気を張り詰めていたから 今は緊張の糸がプツンと切れたみたい。お義母さんを見送って 新盆も終えたでしょ。これで 一区切りだけど 寂しいような 安堵したような ちょっと複雑な気もちよ」と。彼女は この6年ぐらいの間に お舅さん お父さん 数年前には お母さん そして 最後には お姑さんを 見送った。ご主人のご両親とは同居だったので 何かと気苦労もあったかもしれない。それをあまり口にしていたわけではないが 同時期に 実の親御さんと 義理の親御さんが入院するなどもあったから 大変だったと思う。親御さんは みな 80代後半~90代半ばの年齢だった。看取った場所は おおむね 病院であったり 施設であったりしたので すべての介護を引き受けていたわけではないにしろ 親御さんなど 家族の介護を経験した人にしかわからない たくさんの たくさんの苦労があったに違いない。

わたしなどは 介護らしい介護もしないまま 母を見送ったから 親の介護の 本当の大変さを経験していない。だから Yさんに対しては いつも 頭の下がる思いがしていた。

「複雑な気もちよ」と話す彼女が 「何だかとっても疲れちゃって ぼ~っとしちゃうのよ。やる気が起きないっていうか。主人は主人で 何だかせかせか動いているけどね。9月になったら 稲刈りもあるから そうそうのんびりもしていられないみたい。でも わたしは ちょっと休みたいって感じ。だって 気力がわかないのよ」と 声のトーンが落ちた。気になって 「食事 とれてる?眠れてる?」と聞くと 「うん それは大丈夫。疲れがたまっているだけで うつにはならないと思うよ。しばらくのんびりすれば また元気が出ると思うんだ」と 先回りされてしまった。『もしかして 燃え尽きちゃった?』と心配したわたしの気もちを読まれてしまったわけ。

そんな電話のやり取りをしていたので 彼女を 少しだけ心配していたわたし。『大丈夫だよ』といっても 大丈夫じゃない時もある。ふだん明るいひとだって 何かのきっかけで うつ状態になるときはあるからね。

そして 昨日 Yさんから電話あり。「今いるんなら ちょっと寄るね」と。突然来るのが 彼女らしい。前もって電話をしてからの訪問は いろいろと気を遣わせると思っているふしがある。

果たして 現れた彼女は 以前と同じように元気だった。「疲れはとれたの?」と聞くと 「歳だから 若い時よりは 疲れるね。でも お盆のあとの疲れは とれたと思うよ。だって いろいろさぼって のんびりしてたからね」と 春風のような笑顔。さらに 「主人とも話したのよ。『お疲れさまでした』ってね。お互いの親を 無事に見送れたんだから 子どもの務めを果たせてよかったって。それは 寂しいよ この歳になったって 親は親で 子どもは子どもだからね。でも 今度は いよいよ 自分達の番て感じでしょ。いつまで生きられるかわからないけど 残りの人生 頑張らないとね」と はきはきはっきり いつもの彼女が 復活した。

そして 彼女は ご主人が収穫した新米(3kg)を持ってきてくれたのだ。

友からの新米

新米を頂いて 大感激のわたし。まぁ お礼はあとで差し上げるとして 「ご主人によろしくね」と言って 彼女を見送ってから まずは 小さな升にお米を入れた。それを 神棚に供えて 自然のお恵みに感謝する。Yさんのご主人が 丹精込めて育て 収穫したお米。ありがたく ありがたく いただくことにした。

シュウメイギクa
  秋明菊

Yさんが 言っていた 「今度は いよいよ 自分達の番て感じでしょ」は 親の死後に続くのは 自分たちの死という意味があるだろう。年齢の順番からいえば そうだろうね。それと もうひとつ いよいよ自分たちだけの人生が始まるんだという意味にもとれる。わたしも 母とお別れした後 徐々に これから ほんとうに わたしだけの人生が始まるのだと思ったもの。それだけに ひとりでやっていけるだろうかと不安があったのも確か わたしの場合は。

「いつまで生きられるかわからないけど 残りの人生 頑張らないとね」 彼女の この言葉にも 本当にそうだなと思った。親たちの死を乗り越えたら 次は 自分の番がくるまで とにかく生きていかねばならないのだもの。生かされている限り 生きていく。それなら 頑張って生きようよ。そんな感じかな。親たちの生きざまは 記憶の中に そして こころのなかに しっかりと刻まれている。それを 時々 思い出しながら あらためて 自分の道を歩んでいく 長い長い 老いという 初めての道のりを。

とまぁ 何はさておき 元気を取り戻したYさんを見て ほっとした。Yさん わたし それぞれの秋を 生きていく。

   🌻

今日も読んでくださって ありがとうございます(^^)/
では また 明日。。。

    keme.

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